講師とコースのヒストリー

2018.7.5. のブログ 

 

17歳で頸椎ヘルニアになった私が、風変わりな学校に入った理由~アレクサンダーという翼~ 

《実習レッスン受講生最終募集開始》(現在は実習は終了しております)

 

北川香里:アレクサンダーテクニーク教師、日英通訳、ピアノプレイヤー

 

「思うだけなんです。」

体験レッスンのさなか、紀美子先生は言った。

「?」

私の頭はハテナでいっぱいだった。

アレクサンダーテクニークの学校を初めて訪れた私は、イントロと呼ばれる体験レッスンを受けていた。歩いたり、椅子に座って床の上のものに手をのばしたりするような、ごく普通の動作をする。しかし、先生が私の後頭部の下あたりに手を添えてくれると、不思議なほど体が楽に動くのだ。

なんなんだ、これは?

ピアノで、四半世紀ぶりの大スランプに陥った私は、アレクサンダーの門をたたいてわずか15分ほどで、魔法のような体験をしたのだった。

 

「首から来ています。」

中国人らしいアクセントで、しかしはっきりと、王先生は私に申し渡した。

17歳の7月。高校の合唱部でピアノ伴奏を一手に引き受けていた私は、突然手の指が曲がらなくなるという不調に襲われた。まず右の人差し指からきてほかの指へ広がり、ついに左手にもしびれが及び始めた。期末テストも左手で答案を書くほどだった。部活では夏のNHK学校音楽コンクールに挑戦することになっていた。

「降板するなら早く決めるように。」

指揮の子とともに私は呼び出され、顧問の先生に告げられたところだった。

 

「それって首から来てるかもよ。」

音楽室にいたほかの先生からそう聞いた私は、ちょうどそういうのを診てくれる先生の存在を親から知らされ、藁をもつかむ思いで神田にある王診療所を訪ねたのだ。

 

「先生、お注射ですか?」

看護師さんがシリンジの針先から液を数滴出してみせると、私は一瞬たじろいだ。が、両手ともしびれるかを先生が確認すると、即座に頸椎のレントゲンを撮ることになった。

真横から撮ったレントゲンを先生は私に見せてくれた。素人目にもはっきり見えるくらい、椎間板が後ろに飛び出したところがあり、それが神経を圧迫しているらしい。

「これは痛いですね。」

先生もやっぱり、という声音だった。

私は17歳にして、椎間板ヘルニアという病名を賜ってしまったのだ。

 

通院すると、周りは中高年の人ばかり。ほぼ最年少で制服を着た私は、「香里ちゃん」と呼ばれてナースさんたちに可愛がられる始末だった。とにかく不調を克服してまたピアノを弾きたかった私は、なににも優先して学校帰りに治療に通った。

 

その甲斐もあり、ヘルニアもひっこんできたのか、年末から練習を再開し、3月末の発表会でピアノを弾くことができた。ベートーヴェンのワルトシュタインソナタだった。あの日音楽室に同行してくれた指揮の子も、喜んでくれた。

 

だが、それも若さあふれる10代の話。牽引もいわゆる対症療法だ。体の動かし方に根本的な解決もないまま40代に入っていた私は、今回の不調がそう甘くはないことを思い知らされた。

 

今回は困ったことに前腕の内側の痛みで、椎間板ヘルニアとは違いまったく見当がつかない。

早朝、鋭い痛みで目が覚めた。痛むからこの2-3日練習はしていないのに。

「発表会当日の早朝に急に痛くなるなんてどういうことなんだ?」

「もうピアノ、あきらめるしかないのか?」

 

あんなに頑張ってきたのに、先生にもお世話になったのに。

努力に悔いはなかったが、私は自分の体が呪わしくてならなかった。

「今度はなにもしなくても痛くなってしまうなんて。どれだけ私はついていないんだ。」

 

アレクサンダーテクニーク教師になろうとしている今ならわかる。

今日が本番である、という正にその思考が痛みを生んだのだ。

 

「思うだけなんです。」

それはアレクサンダーと出会った日に紀美子先生が教えてくれたこと。

私の体は、私の思考によって動いたり、動きにくくなったりするのだ。

 

冒頭の体験からほどなくして、私はアレクサンダーテクニークの学校に通い始めた。

翌年には教師養成コースに入学してしまった。

苦手だった解剖学。10年以上ブランクのある英語。アレクサンダーの著作を読む通信講座。もちろんクラスに出席して様々なレッスンも受ける。合宿にも参加した。40の手習いという言葉があるとしたら、こういうことだろう。「思うだけ」という風変わりな学校で、さまざまなカリキュラムを学んだ。

「思うだけだなんて人に教えられるか!」と嘆いたこともあった。

 

同時に不思議なことが起きた。

ピアノでやりたいことがどんどん叶ったのだ。

 

ソロコンサートを開くこと。

オーディションでファイナルに進んだこと。

歌い手さんと声楽コンクールやクリスマスコンサートで共演すること。

学校のミュージシャンの方たちとコンサートをすること。

オーケストラとピアノコンチェルトを演奏すること。

 

Nコン降板という挫折を17歳の私に味合わせたのはピアノだった。

がむしゃらにやりさえすればできると思いあがった当時の私は、見事に崖に突き落とされた。

けれども、崖から引っ張り上げてくれたのも、またピアノだった。

 

そしてとうとう2018年の2月、アレクサンダーの最終実技試験に私は合格する。

入学して6年の月日が流れていた。

 

そして、2019年2月、すべての課題を修了し、アレクサンダーテクニーク教師と認められた今、学校に通いながらティーチングスキルの研鑽を積んでいる。

 

生徒さんは、私が体験したような体への悪弊を防ぎつつ、演奏のパフォーマンスを高めることができるのだ。

 

またこれは、やりたいことに使うのが最も有効だという。

だから、私は特にピアノを弾く人を対象にレッスンをしている。

私の経験をダイレクトに生かすことができる。

 

自分が人になにかを教える資格を取ることになろうとは。

一番驚いているのはほかならぬ私自身だ。

 

私はピアノのため、多少のテクニックと引き換えに、体の不調を起こしてしまった。

正直、自分のピアノへの不信感が拭えなかった。

しかし、30年前ただの高校生だったの私が、よもや不調を防げるような秘訣が存在するなんて知るはずなかった。

大人だって同様だった。

 

今思えば、私のピアノは砂上の楼閣だった。

体のコアを無視して指だけ動かせばなんでも弾けると信じて疑わなかった。

 

これでよかったのだ、と思う。

 

遠回りもしたけれど、私の挫折から生まれた私のレッスンが今、ほかの人を助けている。

 

先日10回の実習レッスンを終えたのは音楽大学2年生の女性だ。

ピアノの生徒にすぎなかった私が、ピアノを学ぶ、将来のある人たちの教育に関わっている。

 

学生さんだけではない。

物理学者として社会の役に立とうという研究者の女性は、ショパンのエチュードを弾く喜びを見出した。

講師演奏でラヴェルの水の戯れを弾こうというピアノの先生もいる。

還暦をすぎた男性がピアノをもう一度弾いてみようという気になってくれた。

公募を勝ち抜いて音楽祭に出演し、室内楽のフルリサイタルを演奏した人もいる。

企業で働きながらリストの大曲を弾きたいという方もいる。

 

間違ったピアノ練習をしすぎて世界を恨みたくなった17歳の私が思いもしなかったことが、今起きている。ほかの人が上手になる手助けができる私がいる。

 

自分が上手な人はゴマンといても、私と同じレッスンができる人はそうはいないはずだ。

 

私がこれから人に貢献できるとしたら、それもピアノなのだ。

 

来年の私は、今の私より、少しばかり力がついているだろう。

何より私には、自分に使い、人に伝えるアレクサンダーがあるのだから。

 

小学生の時ピアノを始めた私が41年間の体験とアレクサンダーの学びを集大成したものが、美しい音を探求するピアノボディスクールだ。

 

実習が終わり、グループレッスンを開き、仮がはずれた教師となっていよいよ私は学校を卒業する。

 

今度こそ、ピアノはアレクサンダーとともに私を羽ばたかせる翼となってくれるに違いない。

私の生徒さんを羽ばたかせくれるに違いない。

 

私は、わたしのレッスンがあなたの翼になると信じています。

レッスンを受けにいらしてください。

 

美しい音を探求するピアノボディスクール

アレクサンダーテクニーク教師

北川香里

 

 

 ブログ http://kaorilavender.blog.fc2.com/blog-entry-929.html

レッスンの詳細、お申し込みはHP https://kaorikitagawa.jimdo.com/ 

お問い合わせ Email kaorilavender8@gmail.com

 


失意と邂逅と再生の物語 挫折からリサイタル、コンチェルトまでの道 答えはすべて私の中に

最初に異変を感じたのは17歳の夏でした。

 ピアノが大好きで家でも学校でも

毎日弾いていた私が、 

最初に体に違和感を感じたのは、

高校2年生の初夏でした。

 

右手の指が人差し指、中指と、

どんどん曲がらなくなっていきました。 

高等部になって合唱部に入り、

中心となる2年生になって、

満を持してピアノを担当した矢先のことでした。

 

夏のNコンも文化祭も、

そのための現代曲を猛練習していたのに、

ピアノを降板するしかなく、

正に失意のどん底でした。

 

その時は頸椎ヘルニアと診断され、

制服で整形外科に通い、

ピアノも4か月全く演奏できず、

テストの回答も左手で書く始末でした。

 

翌春、演奏に復帰しますが、

ヘルニアを引き起こした自分の動きの癖は

その後も見えない影を落としていたことに、

 

その時は気づくことができませんでした。

 

社会人生活、子育てとピアノを両立をした私を待っていたもの

その後、20数年の間に進学、就職、

結婚、出産を経験しました。

子育てしながらピアノは続けていましたが、

息子が小学校に入り、

いよいよピアノを頑張ろうとした矢先、

今度は腰が悲鳴をあげていました。

 

椅子に座るのがこわい。電車に乗るのもこわい。

生活に不安があるなか、

肝心の心の支えであるピアノまで、

限界を迎えていました。

 

練習すれば腰に悪い。

しかも本番前に腕が疲れ切ってしまう。

本番はなぜか崩れてしまう。

練習せず体を休めても、

本番の明け方には痛みで目が覚める。

 

どうしたらいいかわからない。

どう弾いたらいいのかもわからない。

空しさと焦りはMaxになっていました。

 

3.11の決意 弾かずには死ねない

3.11のあと、生きている間にやりたいことをやる!

と誓い、欧州に留学した先生の門を叩いたりもしました。

 

それでも痛みが増すばかりで、

これといった解決が得られず、

またしても途方に暮れました。

アレクサンダーテクニークとの出会いがすべてを変えた

2011年6月、万策つきた私は、もうこれしかないと、

噂に聞いていたアレクサンダーテクニークを学び始めました。

 

体験レッスン(それもピアノを弾きもしない)から帰宅後、ピアノを弾いたところ、

今までできなかったことがあっさりできたのです!

あれれ、腕が動かし易いんですけど!

      

私が学ぶべきはこれだ!

と確信しました。

 

アラフォーの本気の逆襲

途端にやる気があふれた私は、

 ベーシックコースに入学し、

挑戦し始めました。

 

あれだけ避けていたPCを買い、

ブログを書き始め、 

7月にはオーディションで予選を通過し、

12月には念願かなって

レストランでランチ付きソロコンサートを

開くことができました。(オールモーツァルト)

 

オーディションで知り合った声楽家の方の伴奏も

させてもらえるようになりました。

 

なにより自分で驚いたのは、 

体や演奏の変化だけではなく、

ピアノ演奏に対する考え方も

いつしか変わっていたことです。

 

そこにあるのは特別なものではありませんでした。

私が私の体を邪魔しなければ、

思いはそのまま音となる、

というシンプルなことだったのです。

 

2回目のソロコンサートでは

ショパンのスケルツォ4番をラストに弾きました。

 

2014年は3回目のソロコンサートで

初めて二部制(約90分)にし、

メインにワルトシュタイン全楽章を弾いたあと、

アンコールで幻想即興曲を弾きました。  

 

2015年3月、コラボライブをし、

9月には4回目のソロコンサートを

ドビュッシー前奏曲1巻をメインで開きました。

 

2016年9月、コンチェルトコンクールにて

ラプソディインブルーを

オーケストラと演奏しました。

 

2017年9月、ついに、

どん底の17歳で出会った憧れの曲、

ショパンのピアノ協奏曲1番を

オーケストラと演奏する

という夢を実現しました。

 

2018年9月、ショパンのピアノ協奏曲

第2番 へ短調も

演奏することができました。

 

現在も夢の実現は進行中です。

 

より深くATを学ぶため、プロコースに入学

さかのぼって2012年4月、ATを本格的に学ぶために、

ボディチャンスの

アレクサンダーテクニーク教師養成コースに入りました。

 

2014年、

ボディシンキング(BodyThinking)コーチ資格を取得し、

2014から2015年は

シンキングボディ(ThinkingBody)コースを受講し、

 2016年4月より、

ティーチングメソッドコースで学んでいます。

 

2018年2月、教師資格(仮免許)を取得し、教育実習中を終えました。

2019年2月、正式な教師となりました。

 

校長ジェレミー・チャンスのほか、

キャシー・マデン、ヴィヴィアン・マッキー、

トミー・トンプソン、グレッグ・ホルダウェイ、

サラ・バーカー、ミオ・モラレス、

マリルー・チェイシー、ピーター・ノブス

などの世界的アレクサンダーテクニーク教師に加え、

国内の多数の指導者とともに

テクニークとその指導法について

日々学び続けています。 

 

私が得たすべてを凝縮しました

40年のピアノ経験、幾度の挫折、

社会人、子育て、家庭生活とピアノの両立、

6年のATの学び、10回近いセミナー開講、

4回のリサイタル、2度のコンチェルトから学ん

ノウハウを結集、厳選して、情報発信し、

ピアニストの方むけの実践的で効果的なコンテンツを

レッスンという形で提供しています。 

 

体について正しいことを知るだけで、

こんな演奏ができるなんて!

 

この数年の変化は自分でも思いもしない

素晴らしい経験をもたらしてくれました。

 

あなたにもぜひ私のように

ピアノで夢を実現してほしい!

辛いだけの練習では到達しない演奏を実現してほしい!

 

そういう思いで

このレッスンを提供しています。

 

答えはすでに、すべてあなたの中にあります。

あとはその見つけ方を学ぶだけなのです。

 

ピアニスト、ピアノ愛好家の方からいただいた

レッスンのご感想を紹介しています。


 

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